野球教室|ピッチャー指導DVD|川口和久の右脳的ピッチング術 もう心配いりません。 このピッチング上達法があれば、あなたのお子様の「投球フォーム」、「コントロール」、「投球速度」を体に無理な負担をかけずに、今よりも良くする事が可能です。 多くの少年ピッチャーが治さなければならないポイントは、たったの4つ。この4つに気を付けて、やさしく指導すれば、 あなたのお子様のピッチングは必ず変わります。 プロ野球選手歴18年元広島カープ、読売ジャイアンツ投手現MAXベースボールスクール コーチ 川口さんのしどうをうけてコントロールがよくなりました。 いままで自分が気付かなかったことも気づかせてくれてピッチングがよくなりピッチャーがうまくなったと思いました。 今日教えてもらったことを生かして試合でもがんばりたいです。 川口選手の指導は難しくなく、 子供達に分かりやすく説明頂けたのでとてもよかったです。 柔軟体操(ストレッチやトレーニング)もちょっとキツかったようですが、家でも出来ること、ひとりでもできることでとてもためになりました。 子供もこのせっかくのチャンスを生かして中学でもがんばっていけるようにがんばります。 ※以上一部を抜粋 プロフィール 18年間、広島カープと読売ジャイアンツでプロ選手として活躍。球威のある速球、そして落差の大きいカーブで奪三振の山を築く。(最多奪三振のタイトルを計3回獲得。)広島カープ時代は、「巨人キラー」として活躍。ジャイアンツとの公式戦で、30勝以上している投手の中で、勝ち越し実績を持つ数少ない投手(星野仙一、平松政次、川口和久)の中の1人。1980年代は、北別府学、大野豊らと共に広島『投手王国』の一翼を担い、1984年の広島カープ日本一に大きく貢献する。引退後は、テレビ(TBS、CSなど)やラジオで野球解説者やタレントとして活躍。また、後進の育成にも情熱を燃やし、現在では、元プロ野球選手10名が運営する、「MAXベールボールスクール」にて、ピッチングコーチとして少年投手の指導を担当。経歴 1980年 ドラフト1位で広島東洋カープへ指名され、プロ入り。 1987年、1989年、1991年 最多奪三振のタイトルを計3度獲得 1995年 広島球団史上初となるFA権を行使し、読売ジャイアンツへ移籍。 1996年 最終の公式戦で最終打者から三振を奪い、セ・リーグ優勝の胴上げ投手となる。 1998年 現役を引退。(プロ選手生活18年) 著書あなたもこのように悩んでいませんか? 私は、そんなあなたの気持ちがよく分かります。 私は |