バイバイ、喘息発作!気道を守る 喘息発作予防術 バイバイ、喘息発作!気道を守る 喘息発作予防術 はじめまして、月島高志です。 私がこのたび効果的な喘息発作予防法について、 あなたにお伝えさせていただきます。 現在、メールマガジンの読者募集中です。 ぜひ、ご登録ください。 月島高志のプロフィールはこちら ぜひ喘息ブログもご覧ください。 月島高志のメールマガジン「喘息発作ゼロを目指して」は下記のフォームからご登録ください。 お名前 E-Mail ※ いまでこそ元気いっぱいで健常者以上に健康であることを自負している私ですが、 以前の私の生活は毎日が喘息との戦いでした。 いや、戦いというよりも一方的に痛めつけられ、体がボロボロになっていたと いった方がいいかもしれません。 いままで沢山の喘息で悩んでいる方と話をしましたが、 私ほどひどい発作で苦しんでいる人とはいまだに会ったことがありません。 私がどれくらいひどい状態だったのかというと・・・ 2歳から20歳までの18年間、1年の1/3以上発作で苦しんだ。 発作の時には食事が全く取れない為にガリガリに痩せて 中学に入っても20キロ台の体重しかなかった。 喘息発作の為に学校に通うことが出来ず、高校を2年で中退した。 運動すると発作が起こる為、体育の授業に参加出来なかった。 級友からはずる休みと言われ、いじめられていたことがあった。 花火の匂いを嗅ぐと喘息が起きるので、窓越しに見ていた。 発作の危険性から外泊することが出来ないので、修学旅行のたぐいには行ったことがなかった。 行きつけの病院までのタクシー代が1ヶ月で十万円を超えていた。 たまに旅行に出かけても、その日の夜には旅行先で発作が起きてしまうので、楽しいはずの思い出が楽しくなくなってしまった。 発作の時には、横になると気道が収縮して苦しくて眠れないので、毎日座りながら短い睡眠をとっていた。 無理な姿勢で呼吸をしていた為にろっこつが変形してしまった。 いかがでしょうか? いまでこそ過去の話になっていますが、 当時は本当に地獄の日々でした。 私の子どもの頃は現在のように、 発作予防の観点から喘息治療を施す、という発想は お医者様の側にも患者の側にも希薄で、 起きた発作をどうやって静めるのかが喘息治療の主流となっていました。 その為に目の前に存在する喘息の危険因子に対しては まったくの無防備状態だったのです。 そして私の気道はどんどん傷ついてい ますます喘息発作の起こりやすい状態となっていったのです。 その頃の私は有名な大学病院の先生に「喘息の横綱」とまで言われていました。 また、9歳頃から病院の勧めで脱感作療法を週に一度行っていたので、 その日に当たる毎週木曜日には私は学校を休まなければなりませんでした。 ちょうど家庭科の授業が毎週木曜日だったので 私は一度も家庭科の授業に出たことがありませんでした。 脱感作療法を続けていれば、いつか喘息が治る、 そう信じて私は毎週病院に通いました。しかし私の喘息は治るどころか どんど |